
柳原良平主義 ~RyoheIZM~09

柳原良平主義 ~RyoheIZM~09
Aug 31, 2023

切り絵のマジック
切り絵のマジック
原画を前に、寄っては引いて
原画を前に、寄っては引いて
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。
晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、なんだか妙にホッとする。船のほうが周囲の建物より詳細に書き込まれているものの、それほど極端な差はなく、なのに船の”主役感”が全面に浮き出てくるのは、その構図もあるが、やはり形状と配色のせいだろう。
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。
晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、なんだか妙にホッとする。船のほうが周囲の建物より詳細に書き込まれているものの、それほど極端な差はなく、なのに船の”主役感”が全面に浮き出てくるのは、その構図もあるが、やはり形状と配色のせいだろう。
その形状、その配色
背景に配されたゴシック建築による直線的・幾何学的な建物群に対して、柔らかな曲線をまとったシルエットの船が佇んでいると、やはりそれだけで視線が船に向く。なぜか船が女性名詞で扱われるのが腑に落ちる。
色もそうだ。空や海の鮮やかな青さや山の緑、そして建物の壁には濃淡をつけて配し、その手前にドーンと真っ白な船が来るものだから、純潔さや気高さが迫ってきて、神々しくさえ見えてくる。
切り絵というのは、油絵に比べると劣化しやすいそうだがこの絵は、1972年の制作でありながら発色も良く、かなり保存が良かったことを伺わせる。
切り絵というジャンル
その形状、その配色
とまあそんな絵なのだが、今回言いたいのは切り絵の素晴らしさ。切り絵とは、色のついた紙を切って台紙に貼って作る作品のことで、切り絵というジャンルも確立されており、切り絵を専門に手がける作家もいる。
だが柳原のそれは、他の切り絵作家とは少々スタイルが異なっている。普通、切り絵と呼ばれる作品は、例えば黒い紙を細密に切ってレースのような模様を表現したり、切った紙を何層にも張り合わせて立体感を出すとか、それはそれなりに素晴らしいが、切った紙に筆やペンを入れるようなものはあまりない。
柳原の作品は、貼った紙に黒や白のペンが自由に入っており、それが作品を仕上げるための決定的な要素になっている。だから柳原は切り絵という手法は使うが純粋な切り絵作家ではなく、切り絵の手法を使うのは、それでしか表せない独特の効果を表現するためだ。
背景に配されたゴシック建築による直線的・幾何学的な建物群に対して、柔らかな曲線をまとったシルエットの船が佇んでいると、やはりそれだけで視線が船に向く。なぜか船が女性名詞で扱われるのが腑に落ちる。
色もそうだ。空や海の鮮やかな青さや山の緑、そして建物の壁には濃淡をつけて配し、その手前にドーンと真っ白な船が来るものだから、純潔さや気高さが迫ってきて、神々しくさえ見えてくる。
切り絵というのは、油絵に比べると劣化しやすいそうだがこの絵は、1972年の制作でありながら発色も良く、かなり保存が良かったことを伺わせる。
切り絵というジャンル
とまあそんな絵なのだが、今回言いたいのは切り絵の素晴らしさ。切り絵とは、色のついた紙を切って台紙に貼って作る作品のことで、切り絵というジャンルも確立されており、切り絵を専門に手がける作家もいる。
だが柳原のそれは、他の切り絵作家とは少々スタイルが異なっている。普通、切り絵と呼ばれる作品は、例えば黒い紙を細密に切ってレースのような模様を表現したり、切った紙を何層にも張り合わせて立体感を出すとか、それはそれなりに素晴らしいが、切った紙に筆やペンを入れるようなものはあまりない。
柳原の作品は、貼った紙に黒や白のペンが自由に入っており、それが作品を仕上げるための決定的な要素になっている。だから柳原は切り絵という手法は使うが純粋な切り絵作家ではなく、切り絵の手法を使うのは、それでしか表せない独特の効果を表現するためだ。
柳原独自の切り絵
その独特の効果とは、つまり色と色の境界がパキッとしているとでも言えばいいのだろうか。うまく言えないのがもどかしいが、多くの人が柳原の個性あふれる切り絵に魅了されている。高校時代に美術部の部長を務めた長男の良太氏は、こんな話をしてくれた。
「油絵の場合は色を重ねますけど、切り絵はカミソリの刃で切って貼るわけですから、色の境界線がシャープじゃないですか。色使いも含めて、ああいうのは独特だなって思います」
良太氏も父親の作品の中では、切り絵やリトグラフが好きだそうだ。
柳原独自の切り絵
その独特の効果とは、つまり色と色の境界がパキッとしているとでも言えばいいのだろうか。うまく言えないのがもどかしいが、多くの人が柳原の個性あふれる切り絵に魅了されている。高校時代に美術部の部長を務めた長男の良太氏は、こんな話をしてくれた。
「油絵の場合は色を重ねますけど、切り絵はカミソリの刃で切って貼るわけですから、色の境界線がシャープじゃないですか。色使いも含めて、ああいうのは独特だなって思います」
良太氏も父親の作品の中では、切り絵やリトグラフが好きだそうだ。
切られた紙が、ニュアンスを表現
また、柳原の作品を知りつくす元・横浜みなと博物館館長の志澤氏は、別の角度から説明してくれる。
「片刃のカミソリで切るんですけど、だから細かいことができない。必然的に省略した必要最小限の形になるんです。その代わりカミソリで切ってるから線の美しさとか、ある種の冷たさが表現できて、結果的には平面感が出る。あるいは紙の色や質によってはボリューム感が出たりとか」
色彩感覚と、シェイプの美しさ
帝京大の名誉教授・岡部氏は、他の作家を引き合いに出しながら、専門的な見地から説明してくれた。
「色あいがメルヘンっぽいですよね。『暮しの手帖』の初代編集長であり表紙の画家でもあった花森安治(1911〜1978年)の絵に通じるものがあると思います。この色彩感覚はおそらく、柳原さんが美大時代に学んだ上野リチ(Felice Lizzi Rix-Ueno / 1893〜1967年:ウィーンと京都で活動したデザイナー)さんに影響されたのでしょう。また切り絵は、シェイプに美しさってのがありますからね。線と面に鋭角的な面白さが加わってるっていうか。アンリ・マティス(Henri Matisse / 1869〜1954年:フランスの画家)の”ジャズ”っていう有名な切り絵のシリーズもそうです。線といってもフォルムの美しさですけどね。まあそのフォルムの美しさは柳原さんの場合、船の美学に通じているんでしょう」
ちなみにそのアンリ・マティスは、切り絵は線を引いて中に色を塗ったりする必要がなく、いきなり色彩で描くことができるのが利点といったようなことを語ったという。”いきなり色彩で描く”というのは、うまい言い方だなと感心した。
原画が発するパワー
今回、原画を間近に見て、改めてその作品の緻密さに圧倒された。ありあけ社長・堀越氏も原画を初めて見たときの驚きを語っている。
「切り絵を見たときは感動しましたね。こんなことができるんだなあって。うちの会社には”感動を創造しよう”っていう理念があるんですけど、あれはまさに感動した瞬間でしたよ」
よく見ると、切り絵に使われている色紙は、表面が滑らかではなく、細かい筋のエンボス加工が施されてものが選ばれており、柳原はこの表面の凸凹もうまく利用している。
基本的には縦の目になるよう使っているが、パーツによっては横に使っている。観る角度によって表面にあるわずかな凸凹の陰影がほんの少し変わるので、角度を変えて貼ると色味の変化の出方も異なってくる。
そのうえで船だけはエンボス加工のない紙が使われているので、紙質の違いにおいても船が目立つ仕掛けになっている。そういうことか。
天才の構図
実は、しばらくするまで気づかなかったことがある。空と海に同じ紙が使われていたのだ。つまりこの作品は、全体が大きな1枚の青紙を使って構成されており、その上部は空を表現するために、下部は海を表現するために余白(この場合、余青?)が残されている。海に白ペンによる線が入っていたので、上下同じ青に濃淡の差を感じたのだろうか。ただの錯覚か。いずれにせよ最初は、空と海という別々のものにしか見えなかった。
柳原は「うん、空と海の両方にこの青が使えるから、上下を分けるように真ん中に船を置くか」などと判断して、この作品に取り掛かったということになる。このセンス、普通じゃないと感じるのは自分だけだろうか。
柳原の切り絵は、このように紙の色も質も使い方が凝っていて面白いものが多い。志澤氏の「柳原良平たらしめているのは切り絵で、あれは唯一のものです」という言葉が心に残る。(以下、次号)
切られた紙が、ニュアンスを表現
また、柳原の作品を知りつくす元・横浜みなと博物館館長の志澤氏は、別の角度から説明してくれる。
「片刃のカミソリで切るんですけど、だから細かいことができない。必然的に省略した必要最小限の形になるんです。その代わりカミソリで切ってるから線の美しさとか、ある種の冷たさが表現できて、結果的には平面感が出る。あるいは紙の色や質によってはボリューム感が出たりとか」
色彩感覚と、シェイプの美しさ
帝京大の名誉教授・岡部氏は、他の作家を引き合いに出しながら、専門的な見地から説明してくれた。
「色あいがメルヘンっぽいですよね。『暮しの手帖』の初代編集長であり表紙の画家でもあった花森安治(1911〜1978年)の絵に通じるものがあると思います。この色彩感覚はおそらく、柳原さんが美大時代に学んだ上野リチ(Felice Lizzi Rix-Ueno / 1893〜1967年:ウィーンと京都で活動したデザイナー)さんに影響されたのでしょう。また切り絵は、シェイプに美しさってのがありますからね。線と面に鋭角的な面白さが加わってるっていうか。アンリ・マティス(Henri Matisse / 1869〜1954年:フランスの画家)の”ジャズ”っていう有名な切り絵のシリーズもそうです。線といってもフォルムの美しさですけどね。まあそのフォルムの美しさは柳原さんの場合、船の美学に通じているんでしょう」
ちなみにそのアンリ・マティスは、切り絵は線を引いて中に色を塗ったりする必要がなく、いきなり色彩で描くことができるのが利点といったようなことを語ったという。”いきなり色彩で描く”というのは、うまい言い方だなと感心した。
原画が発するパワー
今回、原画を間近に見て、改めてその作品の緻密さに圧倒された。ありあけ社長・堀越氏も原画を初めて見たときの驚きを語っている。
「切り絵を見たときは感動しましたね。こんなことができるんだなあって。うちの会社には”感動を創造しよう”っていう理念があるんですけど、あれはまさに感動した瞬間でしたよ」
よく見ると、切り絵に使われている色紙は、表面が滑らかではなく、細かい筋のエンボス加工が施されてものが選ばれており、柳原はこの表面の凸凹もうまく利用している。
基本的には縦の目になるよう使っているが、パーツによっては横に使っている。観る角度によって表面にあるわずかな凸凹の陰影がほんの少し変わるので、角度を変えて貼ると色味の変化の出方も異なってくる。
そのうえで船だけはエンボス加工のない紙が使われているので、紙質の違いにおいても船が目立つ仕掛けになっている。そういうことか。
天才の構図
実は、しばらくするまで気づかなかったことがある。空と海に同じ紙が使われていたのだ。つまりこの作品は、全体が大きな1枚の青紙を使って構成されており、その上部は空を表現するために、下部は海を表現するために余白(この場合、余青?)が残されている。海に白ペンによる線が入っていたので、上下同じ青に濃淡の差を感じたのだろうか。ただの錯覚か。いずれにせよ最初は、空と海という別々のものにしか見えなかった。
柳原は「うん、空と海の両方にこの青が使えるから、上下を分けるように真ん中に船を置くか」などと判断して、この作品に取り掛かったということになる。このセンス、普通じゃないと感じるのは自分だけだろうか。
柳原の切り絵は、このように紙の色も質も使い方が凝っていて面白いものが多い。志澤氏の「柳原良平たらしめているのは切り絵で、あれは唯一のものです」という言葉が心に残る。(以下、次号)

アンクル編集子
※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。

柳原良平(やなぎはら・りょうへい)

アンクル編集子
※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。
参考文献
・『船旅絵日記』(徳間文庫)
ご協力いただいた方々
● 柳原良太(やなぎはら・りょうた) 1961年4月、父・良平、母・薫の長男として、東京で生まれる。3歳のときに横浜に引越し、子供時代を横浜で過ごす。1985年、日本銀行に就職。2021年に日本銀行を退職し、現在は物流会社に勤務している。東京都在住。
● 志澤政勝(しざわ・まさかつ) 1978年、 横浜海洋科学博物館の学芸員となり、同館の理事を務 めていた柳原良平と出会う。交友は柳原が亡くなるまで続いた。以後、横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)でキャリアを積み、2015年、館長に就任。2019年に退職し、現在は 海事史などを研究している。
●岡部昌幸(おかべ・まさゆき) 1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。
●堀越隆宏(ほりこし・たかひろ) 1968年、川崎生まれ。学生時代は野球に明け暮れる。2001年に ハーバー復活実行委員会メンバーとしてキャンペーンに参画。その後ハーバーの販売活動を中心に製造・商品企画などを担当し、柳原良平と知り合う。コラボレーション企画等でさまざまなヒット商品を生み出し、新たな市場を開拓。2013年に同社社長に就任。横浜市在住。
ご協力いただいた方
● 柳原良太(やなぎはら・りょうた) 1961年4月、父・良平、母・薫の長男として、東京で生まれる。3歳のときに横浜に引越し、子供時代を横浜で過ごす。1985年、日本銀行に就職。2021年に日本銀行を退職し、現在は物流会社に勤務している。東京都在住。
● 志澤政勝(しざわ・まさかつ) 1978年、 横浜海洋科学博物館の学芸員となり、同館の理事を務 めていた柳原良平と出会う。交友は柳原が亡くなるまで続いた。以後、横浜マリタイムミュージアム(現・横浜みなと博物館)でキャリアを積み、2015年、館長に就任。2019年に退職し、現在は 海事史などを研究している。
●岡部昌幸(おかべ・まさゆき) 1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。
●堀越隆宏(ほりこし・たかひろ) 1968年、川崎生まれ。学生時代は野球に明け暮れる。2001年に ハーバー復活実行委員会メンバーとしてキャンペーンに参画。その後ハーバーの販売活動を中心に製造・商品企画などを担当し、柳原良平と知り合う。コラボレーション企画等でさまざまなヒット商品を生み出し、新たな市場を開拓。2013年に同社社長に就任。横浜市在住。
柳原良平原画・複製画
柳原良平原画・複製画
柳原良平アクリルフォト
柳原良平アクリルフォト
柳原良平主義 ~RyoheIZM~
アンクルトリス(アンクル船長)は2.5頭身。そして、ちびまる子ちゃんも2.5頭身だ。これに気づいたときは驚いた。気付いた自分を褒めてやりたい!
ちびまる子ちゃんの著者、さくらももこは、ちびまる子ちゃんのキャラクターを完成させるにあたって柳原良平、またはアンクルトリスを意識などしていなかっただろう。両者ともすでに故人となっているので知ることはできないが。
山口瞳といえば、寿屋(現サントリーホールディングス)時代の柳原良平の同僚であり、「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」の名コピーを考えた人物として、本稿の読者ならすでにご存知のことと思う。
レイを首にかけたアンクルトリスとハワイ各島のイラストによる地図、そこにこのコピーが配された新聞の広告やテレビCMは大きな反響を呼び、この年(1961年)の流行語となるほど広まった。
アーティストはみな独自の個性を持っているが、その個性を確立するには、それぞれきっかけがあるようだ。たとえばゴッホの独特のタッチや印象的な黄色の使い方は、彼がパリからアルルに引っ越して「ひまわり」を描いたことがきっかけだと言われており、有名な作品はその時期以降に描かれたものが多い。
アルル以前のパリでは、モネやルノワールなどの印象派の画家たちをはじめ、スーラの点描や日本の浮世絵などに影響を受け、さまざまな技法を用いた作品を残したが、ひまわり以降の作品ほど評価は高くない。
柳原良平主義 ~RyoheIZM~
アンクルトリス(アンクル船長)は2.5頭身。そして、ちびまる子ちゃんも2.5頭身だ。これに気づいたときは驚いた。気付いた自分を褒めてやりたい!
ちびまる子ちゃんの著者、さくらももこは、ちびまる子ちゃんのキャラクターを完成させるにあたって柳原良平、またはアンクルトリスを意識などしていなかっただろう。両者ともすでに故人となっているので知ることはできないが。
山口瞳といえば、寿屋(現サントリーホールディングス)時代の柳原良平の同僚であり、「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」の名コピーを考えた人物として、本稿の読者ならすでにご存知のことと思う。
レイを首にかけたアンクルトリスとハワイ各島のイラストによる地図、そこにこのコピーが配された新聞の広告やテレビCMは大きな反響を呼び、この年(1961年)の流行語となるほど広まった。
アーティストはみな独自の個性を持っているが、その個性を確立するには、それぞれきっかけがあるようだ。たとえばゴッホの独特のタッチや印象的な黄色の使い方は、彼がパリからアルルに引っ越して「ひまわり」を描いたことがきっかけだと言われており、有名な作品はその時期以降に描かれたものが多い。
アルル以前のパリでは、モネやルノワールなどの印象派の画家たちをはじめ、スーラの点描や日本の浮世絵などに影響を受け、さまざまな技法を用いた作品を残したが、ひまわり以降の作品ほど評価は高くない。