柳原良平主義 ~RyoheIZM~17
柳原良平主義 ~RyoheIZM~17
Nov 2, 2023
ひと目で全景を把握
ひと目で全景を把握
お任せの境地
お任せの境地
リトグラフにおいては作家と刷り師との信頼関係が、作品の出来・不出来に大きく影響するという話を以前に書いた。工房のある広島県沼隈郡を訪れ、版に絵を描いて打ち合わせを済ませた柳原は、あとの工程を刷り師である佐道二郎氏に任せて横浜の自宅に戻る。
あるとき8色8版のリトグラフを制作するなかで、刷り師の佐道氏は色の入っていない部分を発見し、柳原に問い合わせをした。すると柳原はすぐに、「あっ! その部分ね! 隣の色にかぶらないように足しといて!」と答えたという。佐道氏はその指示を受けて版に加筆したそうだ。
こだわりの強い作家の中には、自分の作品(この場合、版)に他人の手が加わることを嫌う者もいる。だが柳原はまったく気にしない。ひとつには佐道氏を全面的に信頼していたこと、そしてもうひとつは、そういう(他人が版に加筆する)ことについての完全主義的なこだわりが、元々薄かったように思えてならない。
リトグラフにおいては作家と刷り師との信頼関係が、作品の出来・不出来に大きく影響するという話を以前に書いた。工房のある広島県沼隈郡を訪れ、版に絵を描いて打ち合わせを済ませた柳原は、あとの工程を刷り師である佐道二郎氏に任せて横浜の自宅に戻る。
あるとき8色8版のリトグラフを制作するなかで、刷り師の佐道氏は色の入っていない部分を発見し、柳原に問い合わせをした。すると柳原はすぐに、「あっ! その部分ね! 隣の色にかぶらないように足しといて!」と答えたという。佐道氏はその指示を受けて版に加筆したそうだ。
こだわりの強い作家の中には、自分の作品(この場合、版)に他人の手が加わることを嫌う者もいる。だが柳原はまったく気にしない。ひとつには佐道氏を全面的に信頼していたこと、そしてもうひとつは、そういう(他人が版に加筆する)ことについての完全主義的なこだわりが、元々薄かったように思えてならない。
的確な指示
エピソードをもうひとつ。商船三井が柳原に依頼した各種の船の作品は、色のつかないモノクロの線画だった。それを受けて商船三井の担当者が着色を行っていた。着色を施したものを柳原に見せて了解を得て、初めて作品として世に発表された。柳原がまだ存命のころ、そのやりとりの窓口となっていた元・商船三井の中島淳子氏が言う。
「それで、色をつけたものを先生にお送りして、こういう感じで良いかどうかを確認するんです。先生は背景の色がどうとかはまったく言わないんですけど、船の構造が変わってしまうような色付けになっていた場合は、すごく的確にご指摘いただきました」
モノクロの線画だと、線が交差したり線で囲まれたりする部分が出てくる。そこがどの色なるべきか、つまりここは背景色とか、ここは船体の色とかそういう話だ。
「重なりの部分などで、背景色が見えてなくちゃいけない部分が船の色になっていた場合、「そこは背景が見えてなきゃダメだよ」って、すごく的確なご指摘をいただきました。でも色がどうのこうのとかは一切おっしゃらなかったです」
配色のセンスにも類まれなセンスを見せる柳原だから、色味の指示などがあってもよさそうなものだが、そうしたことは皆無で、すべて任せていたという。リトグラフの刷り師が原版に手を入れたのと同じだ。柳原の行動を追うと、ある部分に関してはまったく頓着しない(ように見える)側面があることがわかる。
指示がスピーディな理由
そしてもうひとつ気づくのは、指示の速さと的確さ。おそらく柳原の脳内にはカメラで撮影したかのように完成された作品イメージがあり、そのイメージと実際にできてきたものとは、いつでも比べることができて、わずかの差異に気づくことができ、その差異に瞬間的に反応できるのだろう。
頭の中に限りなくシャープに絵柄を定着させるのは、おそらく画家の才能だ。凡人には到底できなくても、画家にとっては普通のことなのかもしれない。映画音楽の巨匠エンリオ・モリコーネが、楽器を一切使わずにフルオーケストラの楽譜を書き上げるのに似ている。
柳原のモノクロ作品に色をつけて完成させる作業は、商船三井においては現在に至るまで続いている。柳原の没後は、美術著作権センターの佐々木勲氏がその確認を行っているという。佐々木氏は、毎年柳原作品の展覧会を行ってきており、柳原の作品を知り尽くしている人のひとりでもある。柳原もきっと、佐々木氏が確認してくれるなら、と全面的に任せるに違いない。
(以下、次号)
的確な指示
エピソードをもうひとつ。商船三井が柳原に依頼した各種の船の作品は、色のつかないモノクロの線画だった。それを受けて商船三井の担当者が着色を行っていた。着色を施したものを柳原に見せて了解を得て、初めて作品として世に発表された。柳原がまだ存命のころ、そのやりとりの窓口となっていた元・商船三井の中島淳子氏が言う。
「それで、色をつけたものを先生にお送りして、こういう感じで良いかどうかを確認するんです。先生は背景の色がどうとかはまったく言わないんですけど、船の構造が変わってしまうような色付けになっていた場合は、すごく的確にご指摘いただきました」
モノクロの線画だと、線が交差したり線で囲まれたりする部分が出てくる。そこがどの色なるべきか、つまりここは背景色とか、ここは船体の色とかそういう話だ。
「重なりの部分などで、背景色が見えてなくちゃいけない部分が船の色になっていた場合、「そこは背景が見えてなきゃダメだよ」って、すごく的確なご指摘をいただきました。でも色がどうのこうのとかは一切おっしゃらなかったです」
配色のセンスにも類まれなセンスを見せる柳原だから、色味の指示などがあってもよさそうなものだが、そうしたことは皆無で、すべて任せていたという。リトグラフの刷り師が原版に手を入れたのと同じだ。柳原の行動を追うと、ある部分に関してはまったく頓着しない(ように見える)側面があることがわかる。
指示がスピーディな理由
そしてもうひとつ気づくのは、指示の速さと的確さ。おそらく柳原の脳内にはカメラで撮影したかのように完成された作品イメージがあり、そのイメージと実際にできてきたものとは、いつでも比べることができて、わずかの差異に気づくことができ、その差異に瞬間的に反応できるのだろう。
頭の中に限りなくシャープに絵柄を定着させるのは、おそらく画家の才能だ。凡人には到底できなくても、画家にとっては普通のことなのかもしれない。映画音楽の巨匠エンリオ・モリコーネが、楽器を一切使わずにフルオーケストラの楽譜を書き上げるのに似ている。
柳原のモノクロ作品に色をつけて完成させる作業は、商船三井においては現在に至るまで続いている。柳原の没後は、美術著作権センターの佐々木勲氏がその確認を行っているという。佐々木氏は、毎年柳原作品の展覧会を行ってきており、柳原の作品を知り尽くしている人のひとりでもある。柳原もきっと、佐々木氏が確認してくれるなら、と全面的に任せるに違いない。
(以下、次号)
アンクル編集子
※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。
柳原良平(やなぎはら・りょうへい)
アンクル編集子
※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。
ご協力いただいた方々
●中島淳子(なかじま・あつこ) 1976年、大阪商船三井船舶株式会社(現・株式会社商船三井)入社。秘書室を経て広報室に異動し、以降は一貫してサイト管理や社内報・広報誌の制作を担当。 2002年にはサイト内に「柳原名誉船長ミュージアム」を設置。柳原作品の発注窓口となり、約13年にわたり文通のようなやりとりを続けた。
参考文献
・『柳原良平 海と船と港のギャラリー』(横浜みなと博物館刊)
ご協力いただいた方々
●中島淳子(なかじま・あつこ) 1976年、大阪商船三井船舶株式会社(現・株式会社商船三井)入社。秘書室を経て広報室に異動し、以降は一貫してサイト管理や社内報・広報誌の制作を担当。 2002年にはサイト内に「柳原名誉船長ミュージアム」を設置。柳原作品の発注窓口となり、約13年にわたり文通のようなやりとりを続けた。
参考文献
●『柳原良平 海と船と港のギャラリー』(横浜みなと博物館刊)