柳原良平主義 ~RyoheIZM~25
ゴッホと柳原良平
海洋画家と呼ばれる、船や海、港を専門に描く画家がいる。高橋健一、飯塚羚児、亀山和明や野上隼夫、世界に目を向けるとイヴァン・アイアーティストはみな独自の個性を持っているが、その個性を確立するには、それぞれきっかけがあるようだ。ヴァゾフスキーやウィリアム・ターナーなどなど、その数は多い。
柳原良平も当然そのひとりに数えられていると思ったのだが、彼のことを純粋な海洋画家と呼ぶ記述には出会ったことがない(他の海洋画家との比較はあったが)。
ゴッホのひまわり
たとえばゴッホの独特のタッチや印象的な黄色の使い方は、彼がパリからアルルに引っ越して「ひまわり」を描いたことがきっかけだと言われており、有名な作品はその時期以降に描かれたものが多い。
アルル以前のパリでは、モネやルノワールなどの印象派の画家たちをはじめ、スーラの点描や日本の浮世絵などに影響を受け、さまざまな技法を用いた作品を残したが、ひまわり以降の作品ほど評価は高くない。
パリで知り合ったポール・ゴーギャンをアルルの自宅に迎えて共同生活をするためにゴッホは、画室に6点のひまわりの絵を飾ることを思い立った(最終的には7点存在するが)のが発端だが、巷で有名な「ひまわり」は、その中の1点だ。
柳原のアンクルトリス
一方、柳原良平が独自の個性を確立したきっかけは、やはり寿屋(現サントリーホールディングス)に入社し、アンクルトリスを生み出したことではないだろうか。2.5頭身のこのキャラクターは、柳原がそれまで無数に描いてきた船の絵にも影響を及ぼしたのではないかと思われるからだ。
柳原はこのキャラクターを船に乗せよう思いと思いついた。だが2.5頭身というかわいい中高齢の男性(?)が乗る船を、現実の船と同様のプロポーションで、写実的に描いたのでは、どうにも釣り合わない。だから船の前後や遠近関係を圧縮したりと、このユニークなキャラクターを乗船させるために、船の絵についても、デフォルメの度合いを加速させたのではないかと推測している。
ちなみにサントリーの商品とは関係なく描かれた同キャラは、”アンクルトリス”ではなく”アンクル船長”と名付けられており、船長帽をかぶったものが多い。
柳原は幼少期から数えれば膨大な数の船を描いてきているが、アンクルトリス以前のものは、その多くが絵葉書で見るような写実的なタッチで描かれている。子供時代の柳原は、絵葉書に船の絵を描く仕事がしたいと夢見ていた時期もあったので、当然と言えば当然ではあるが。
また美大時代に関西新制作派展に出品した絵も、写実的な油絵だった。これがその後、広告デザインを学んでいくに従い、シンプル化をはじめとするデフォルメの手法を身につけていった。
スタイルが決まると
そしてひとたび自分のスタイルを確立させたのちは、恐ろしいほどのスピードで作品を量産していった柳原。だが、これに関しては先述のゴッホも同じだった。
ゴッホが画家として活動したのはわずか10年ほどだったが、その間に彼が残した作品数は2,000点とも3,000点とも言われている。後期は油絵も1日で描いてしまうくらい筆が早かったそうだが、活動期間と作品数を鑑みると、それもうなづける。
一方の柳原も、描くスピードにおいては定評がある。両者を単純に比べることなどはできないが、きっとスタイルを確立したアーティストにとって絵は、描く前からキャンバス上に、線や色などが見えているのだろう。柳原が描いているところを見て「筆に迷いがない」と表現した、息子の良太氏の言葉が思い起こされた。(以下、次号)
柳原良平(やなぎはら・りょうへい)
アンクル編集子
※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。