柳原良平主義 ~RyoheIZM~20
人としてのスタイル
人間の品格やスタイルについて論じる書籍がさまざまなところから出ている。一冊も読んだことがないので、もしかしたらその解釈は、世の常識とはズレているかもしれない。しかしそれでも柳原良平は、品格のあるオシャレな大人だと、つくづく思う。今回は芸術家としてではなく、人としての柳原について。
性格は行動に出る
柳原の本を読んでいると、何気ないところで彼の性格、というより気質のようなものを感じることがある。それは一言でいうと、人としてのスタイル。矜持の現れという見方もできる。
退職したきっかけ
めでたく寿屋(現サントリーホールディングス)に入社した柳原は、さまざまな賞を総ナメにしたのにもかかわらず、5年そこそこで退社し嘱託に。寿屋で描いた柳原の絵が認められたせいで、他社から絵本や漫画の発注を受けたことがその理由。
宣伝部に所属していながら他からギャラをもらうのは気が引けるということだった。会社から、他の仕事をしてもかまわないとのお墨付きをもらったにもかかわらず、である。副業などもっての他という会社が常識だった時代だ。そんなことを言われたら、そのまま続ける人間のほうが多いのではないだろうか。ところが柳原は違った。甘える自分が嫌だったからだろう。
サン・アドの設立
退職して5年後、柳原はサントリー子会社の広告制作会社サン・アドの設立メンバーとなる。初代社長は、柳原が尊敬するアード・ディレクターであり、寿屋の宣伝部長を務めていた山崎隆夫。サントリーの宣伝も手がけるが他社の仕事も引き受ける。これで他からきた仕事も、組織として受けられるようになった。
これは推測だが、サントリーも柳原を手放したくなかったのだと思う。柳原が率先してサン・アド設立に動いた形跡は見当たらなかったからだ。
タキシード、ドレスコード
船キチの柳原は、船旅が大好物。カリブ海や地中海クルーズなど、1ドル360円時代から世界中を巡って旅をしていた。豪華な客船では毎晩シアターなどでショーやゲームが行われる。
世界各国のセレブたちがギャンブルやダンス、ビンゴやカード(トランプ)に興じる。柳原をはじめ男性は、みなタキシードに蝶ネクタイ、女性はゴージャスなドレスで着飾り、シャンパンやウイスキーを飲みながら会話を楽しむ。
そうした集まりは、ときにドレスコードがあったりする。ドレスコードとは身につける服やアクセサリーのいずれかに、色や柄が指定され、パーティ会場に統一感を生ませるための儀式のようなもの。
こういうルールを面倒くさがる船客は皆無だ。みな楽しんで着飾り、初対面の紳士淑女とダンスをしたり、ゲームしたりして盛り上がる。つまり船客に一体感を生み出す演出のようなもの。
男女数人のグループに分けて
今ではアウトだろうが、少し色っぽいゲームも行われていたそうだ。数人のグループが一本のロープをメンバーの服の中に通す速さを競うゲームなどがそれ。
メンバーには男女が混ざることが条件だ。スタートの合図とともに全チームが急いでロープを通そうとする。そしてドレスを着たどこかの国のマダムも楽しみながら、ドレスの裾から襟に向かってロープを通す。次の男性が急ぐあまりにロープを引っ張ると、マダムのドレスがめくれ上がるという仕掛けだ。引っ張った男性が柳原だったかどうかは不明。
さんざん飲んで、踊って話して、それでも柳原は決して酔い潰れない。酔っ払って誰かに絡んだ話など聞いたことがないし、そうした記述も読んだことはない。
酔わない男
つまり、酒を飲んでも飲まれないのが柳原。しかも船にも酔わない。船員までが酔ってしまうほどの悪天候においても、柳原は酔わない。
それどころか、酔った船員を見ると、ますます元気が出るという。どこかのマダムの顔が青ざめるのを見ると、嬉々として介抱したという。酒にも船にも酔わない男。自分では無理だと思った。マダムを介抱したくなる気持ちしか理解できなかった。
話が逸れたが、柳原の人生は、このような面白ネタの宝庫だ。書いてるうちに楽しくなってきたので、もう少し話を続ける。(以下、次号)