柳原良平主義 ~RyoheIZM~26
葛飾北斎と柳原良平
江戸末期の天才浮世絵師
『冨嶽三十六景』などを代表作とする世界的にも著名な画家・葛飾北斎(1760年〜1849年)。少年時代から版画彫りで生計を立て、19歳で浮世絵界の一大勢力のひとつの門戸を叩き、ほどなくデビューを果たして以来、生涯で34,000点にも及ぶ作品を描いた浮世絵師だ。
数の多さと多様性
作品の多さも柳原と共通するが、手法やジャンルの多様さも似ている。北斎は筆によるフルカラーの浮世絵だけでなく、モノクロの線画や版画、さらには西洋から渡来した銅版画やガラス絵、油絵などの手法も吸収した。対して柳原は、切り絵や油絵に水彩画、ペン画、リトグラフ、シルクスクリーンなどによる多様な作品を残している。さまざまな手法を取り入れることに貪欲だったところも似ている。
活躍分野の幅広さ
分野においてもそれは言える。北斎は作品としての”いわゆる”浮世絵以外に、黄表紙(知的かつナンセンスギャグ満載の読み物)や読本(幻想的あるいは奇怪な小説)、狂歌本(狂歌を集めた本)などにおける挿絵も多かったうえ、漫画や絵手本(絵本の一種)も残している。一方の柳原も、単体の作品はもとより、小説の挿絵から漫画やアニメ、そしてもちろん多くの絵本の出版と負けていない。たださすがに柳原は、北斎のようにエロ(春画)にまでは進出しなかったが。
江戸後半と昭和後半
これには時代性も大きく関係するのではないか。北斎は江戸末期に活躍した浮世絵師であるのに対して、柳原は昭和後半(あるいは20世紀末)に活躍したアーティストと言うことができる。
面白いもので文化というのは、ひとつの時代が長く続くにつれて成熟し、時代の変わり目にまた新たな文化が発祥するという側面があるようだ。戦前と戦後に分けて語られたりする事象も多い。物事を戦争(破壊)と平和(建設)を対比しながら語ると、理解しやすかったりすることも多い。
江戸末期の文化
江戸末期は文化爛熟期として知られるとおり浮世絵が隆盛した時代で、美しい風景や美人画が人気を博した。ヨーロッパで『グレート・ウェーブ』と呼ばれ最も有名になった北斎の『神奈川沖浪裏』などはその最たる例で、他にも歌舞伎や俳諧、狂歌、そして茶道や盆栽など日本固有の文化として重要なカルチャーが深みを極めた。
昭和後半の文化
対して昭和の後半においても、さまざまな文化が芽生え、栄え、そして成熟していった。第二次世界大戦という大規模な破壊ののちの建設の時代、つまり戦後復興期・成長期と称される象徴的な時代の変わり目と重なって、経済も文化も、大きな変革が起こり、急速に広がり、そして深まっていった。映画とテレビの影響力をバックボーンに、ポストモダン文学、ロックやポップスなどの音楽とそれに同期したファッションなどが、大衆の関心を集めた時代だった。
そういう意味では北斎も柳原も、その時代末期に訪れる爛熟した文化が生んだ作家と言えるのではないか。いや、ただそれを本格的に検証するとなると、本稿程度の表面的な共通点をあげるだけで済むはずがなく、素人が手を出してはいけない領域に入ってくるので、この辺でやめておく。(以下、次号)
柳原良平(やなぎはら・りょうへい)
アンクル編集子
※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。
柳原良平原画・複製画
柳原良平アクリルフォト
柳原良平主義 ~RyoheIZM~
アンクルトリス(アンクル船長)は2.5頭身。そして、ちびまる子ちゃんも2.5頭身だ。これに気づいたときは驚いた。気付いた自分を褒めてやりたい!
ちびまる子ちゃんの著者、さくらももこは、ちびまる子ちゃんのキャラクターを完成させるにあたって柳原良平、またはアンクルトリスを意識などしていなかっただろう。両者ともすでに故人となっているので知ることはできないが。
山口瞳といえば、寿屋(現サントリーホールディングス)時代の柳原良平の同僚であり、「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」の名コピーを考えた人物として、本稿の読者ならすでにご存知のことと思う。
レイを首にかけたアンクルトリスとハワイ各島のイラストによる地図、そこにこのコピーが配された新聞の広告やテレビCMは大きな反響を呼び、この年(1961年)の流行語となるほど広まった。
アーティストはみな独自の個性を持っているが、その個性を確立するには、それぞれきっかけがあるようだ。たとえばゴッホの独特のタッチや印象的な黄色の使い方は、彼がパリからアルルに引っ越して「ひまわり」を描いたことがきっかけだと言われており、有名な作品はその時期以降に描かれたものが多い。
アルル以前のパリでは、モネやルノワールなどの印象派の画家たちをはじめ、スーラの点描や日本の浮世絵などに影響を受け、さまざまな技法を用いた作品を残したが、ひまわり以降の作品ほど評価は高くない。