柳原良平主義 ~RyoheIZM~30
リトグラフをもう一度
版画の一種として知られるリトグラフ。柳原良平は55歳でこの技法に出会い、興味を持って工房に通い、熱心に作品作りに励んだ。と、この話はNo. 15で書いた。が、さらに書いておきたいことがあり、多少の重複をお詫びしつつ、ここに追記させていただく。ご興味のある方は、No. 15を読み返していただけると幸いだ
原画の存在は?
柳原のリトグラフには原画が存在せず、その理由は、柳原自身が原版に直接描いていくからだ、と以前に書いた。その様子を、柳原良平作品を管理している美術著作権センターの佐々木勲氏から聞くことができた。佐々木氏は、工房に同行して、柳原がリトグラフを作成する工程を見てきている。
「先生は直接、原版に描いていくんです。8色だったら8版とも。最初に描くのが母版(おもはん)っていって、それがベースになります」
本当に原画がないのだろうか?と、佐々木氏に確認してみると、あるにはあったと言う。やっぱり!と思ったものの、その原画というのは、思っていたものとは違っていた。
原画? メモ?
「まずは作品の元になる母版(おもはん)から描いていくんですけど、先生は10センチ角くらいの小さなメモのようなものを描いてきていて、それを見ながら版に描いていくんです。こんな(と、手で大きさを示しながら)小さなメモですよ。原寸で描いてくるならまだわかるけど」
原版は小さくても30〜50センチ角の大きさだから、ほとんど参考程度のものだったのでは?と思われる。完全な素人目線で恐縮だが、全体のバランスが崩れないのが不思議に感じた。
コンビを組んでいた刷り師の佐道二郎氏も、手際良く、版に直接書いていくのに驚かされたと『柳原良平 海と船と港のギャラリー』(横浜みなと博物館刊)に寄稿しているが、目の前で、しかもライブで描かれ、どんどん船や港ができていくのは、きっと初めての経験だったのだろう。
鏡の目
だが驚きはそれだけではなかった。恥ずかしながら、作品が版画であることに忘れていた。つまり版画は左右逆に刷り上がるので、原版には左右逆の絵を描かねばならないということだ。佐々木氏は言う。
「だから、その10センチくらいのメモみたいな下絵を見ながら、左右反対に描いていくんです。版画だから擦り上がりは逆になりますからね。先生は、それを頭に入れて描いていくんです」
こういうことが訓練すれば可能になるのか、柳原の特異な能力なのかはわからない。だが、原画を描いてそれを刷り師に渡しておしまいという作家も多いと聞くので、柳原の特異性は際立っている。
刷り師の腕
柳原はすべての版を自身で描いたのち、どこにどの色を乗せるかを刷り師に指示する。そこから先、つまりインクの調合や盛り具合、そして刷り上げについては刷り師の腕の見せどころとなる。それを作家がチェックするので、リトグラフは作家と刷り師のコラボレーションが大事と言われる。
原画を渡すだけの作家の場合は、直接的に版をいじることはない(もちろんそうでない作家もいるが)ので、刷り上がりをチェックするだけだ。佐々木氏が説明してくれた。
作家によって
「まず、刷り師が原画を写真に撮って丹念に原版を作るんです。色数が多ければ分解して、その色の数だけ原版を作る。そして原画に忠実に色を出すためにインクを調合して丁寧に刷り上げる。それで何度か作家のチェックを受けて、合格したものを作品として、作家がサインをして完成するんです」
どこが違う?
どちらもその作家の作品となるが、作家の手が原版に直接入っているかどうかという点で、明らかに両者は違う。
リトグラフの味は、色むらや線のカスレなど、原版に描かれたニュアンスが刷り上がりに反映されるところだという。実作業を伴わない作家によるリトグラフ作品にも、色むらや線のカスレは現れるが、それらは原画を描いた際の、おそらくは紙の上で発生したものだろう。
しかし柳原のそれは、原版に描かれた際にできたもの。だから、これは良し悪しの問題ではなく、できあがった柳原のリトグラフは、紙では出てこない、リトグラフでしか出てこないニュアンスが表現されている。(以下、次号)
柳原良平(やなぎはら・りょうへい)
アンクル編集子
※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。
ご協力いただいた方々
●佐々木勲(ささきいさお) 美術雑誌出版社を経て 1983 年せんたあ画廊株式会社入社。2002 年せんたあ画廊内に株式会社美術著作権センターが創立される。2016 年せんたあ画廊の解散に伴い株式会社美術著作権センターを引き継ぎ、画廊 AKIRA-ISAO を開廊。1975 年にせんたあ画廊での柳原良平初個展が開催されたのを機に柳原良平との係わりが深くなっていく。現在は株式会社美術著作権センターの代表として画廊の企画展と柳原良平の著作権管理事業を行っている。
柳原良平原画・複製画
柳原良平アクリルフォト
柳原良平主義 ~RyoheIZM~
アンクルトリス(アンクル船長)は2.5頭身。そして、ちびまる子ちゃんも2.5頭身だ。これに気づいたときは驚いた。気付いた自分を褒めてやりたい!
ちびまる子ちゃんの著者、さくらももこは、ちびまる子ちゃんのキャラクターを完成させるにあたって柳原良平、またはアンクルトリスを意識などしていなかっただろう。両者ともすでに故人となっているので知ることはできないが。
山口瞳といえば、寿屋(現サントリーホールディングス)時代の柳原良平の同僚であり、「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」の名コピーを考えた人物として、本稿の読者ならすでにご存知のことと思う。
レイを首にかけたアンクルトリスとハワイ各島のイラストによる地図、そこにこのコピーが配された新聞の広告やテレビCMは大きな反響を呼び、この年(1961年)の流行語となるほど広まった。
アーティストはみな独自の個性を持っているが、その個性を確立するには、それぞれきっかけがあるようだ。たとえばゴッホの独特のタッチや印象的な黄色の使い方は、彼がパリからアルルに引っ越して「ひまわり」を描いたことがきっかけだと言われており、有名な作品はその時期以降に描かれたものが多い。
アルル以前のパリでは、モネやルノワールなどの印象派の画家たちをはじめ、スーラの点描や日本の浮世絵などに影響を受け、さまざまな技法を用いた作品を残したが、ひまわり以降の作品ほど評価は高くない。