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アンクル編集子
Dec 21 2023

柳原良平主義 ~RyoheIZM~24

海洋画家としての柳原良平

孤高の海洋画家

海洋画家と呼ばれる、船や海、港を専門に描く画家がいる。高橋健一、飯塚羚児、亀山和明や野上隼夫、世界に目を向けるとイヴァン・アイヴァゾフスキーやウィリアム・ターナーなどなど、その数は多い。


柳原良平も当然そのひとりに数えられていると思ったのだが、彼のことを純粋な海洋画家と呼ぶ記述には出会ったことがない(他の海洋画家との比較はあったが)。

船以外でも有名

もちろん、アンクルトリスをはじめ海事関連以外の作品も数多いこともあるかもしれないし、漫画やアニメーション、デザイン、装丁など、画家のそれとはジャンルの異なる作品を量産していたからかもしれない。


しかし、だからといって柳原の船への思いが他の画家たちと比べて劣るとは思えない。船名はもとより船の種類や構造に至るまで知り尽くし(前出の野上隼夫は船舶の設計者出身だが)、しかも生み出した作品が広く老若男女に受け入れられていることを思えば、海洋画家の中でもトップクラスのメジャーアーティストと呼ばれてもおかしくはない。

それなのに海洋画家と呼ばれないのはなぜか。それはたぶん、他の海洋作家たちのなかにあって、存在が異質だからだろう。

多過ぎる引き出し

まず、ほとんどの画家によるほとんどの作品が油絵であることが挙げられる。柳原は、ペン画に水彩画、シルクスクリーン、リトグラフに切り絵と、あらゆる手法で作品を制作している(もちろん油絵も多数ある)。


次に、海洋画家の描く絵のほとんどが写実的なタッチによるものであることも要因のひとつ。ご承知のとおり柳原の作品は大胆なデフォルメとマンガチックな人物が大きな特徴になっている。

すぐ柳原作品とわかる

また、そうしたタッチによる柳原の作品を知っている人たちは、柳原が描いた写実的な油絵に対しても、ある種の脚色性を見出している。それは圧縮などのデフォルメの加減だったり、発色の鮮やかさだったりするわけだが。


だから柳原の作品を広く知れば知るほど、写実的なタッチの油絵であっても、それが柳原の作品であることがすぐわかるという。つまり異質というよりオリジナリティが強烈だから、海洋画家という既存の枠組みに入れづらいのではなかろうか。

画家から見た評価は?

例えとして適切かどうかわからないが、油絵が音楽ジャンルにおけるクラシックだったとすると、柳原の作品はクラシックのみならず、ポップスやジャズ、ロック、歌謡曲など、あらゆるジャンルにわたって作品を残していることになる(演歌はなさそう気がするが)。


今は変わってきているものの以前の音楽業界においては、クラシックの音楽家がポップスのアーティストを下に見ることは普通だった。だとするなら油絵を描く他の海洋画家は柳原を下に見ていたのだろうか。


そういう画家もいたかもしれないが、多くの画家は柳原を評価しリスペクトしていたのではないかと思う。と、アートの素人が”思う”などと書いても説得力は皆無だが、根拠がないわけでもない。

唯一無二の個性

それは簡単に言うと、柳原のような作品は誰にも描けないからだ。あんなデフォルメは誰にもできないし、リトグラフや切り絵など、マルチな手法で作品を展開できるのも柳原だけだろう。

船の本質をつかんだうえで施す大胆なデフォルメは、柳原の面目躍如たる所以であり、唯一無二のものと言える。デフォルメについて、帝京大学名誉教授・岡部昌幸氏は、こう説明する。


「フランス語で”フォルム”が動詞になると”フォルメ”。それを否定する”デ”がついて”デフォルメ”になる。つまり形を崩すわけです。日本だとデフォルメっていうと個性を強調するというふうに考えられてますけど、語源的にはちょっと違う。本来は部分強調ではなくて形を破壊するんです。ピカソもそうでしょ?」

柳原流デフォルメ

その上で柳原特有のデフォルメには、具体的にどんな特徴があるのか訊ねてみた。


「規則性を崩すってのもデフォルメだけど、柳原さんの場合、デフォルメに規則性があるんですよ。でないと船に品格なんて出ませんから。枠組み、つまりグリッドシステムを意識してると思いますよ。柳原さんの美しい平行線は、水平、垂直など画面全体のバランスやリズムなどを大切にしています。グラフィックデザインの基本中の基本がマスターされていますね」


柳原はもともとデザイナー出身だ。そうしたデフォルメ感覚は、デザインの仕事で培われた素養がセンスとなって現れたものだろう。

「それで、絵にしたってイラストっぽく描くことで、大衆の心をつかむことができると柳原さんは感じたんでしょうね。マンガみたいにペン画で描いたって、芯を捉えることはできるんです」

広告デザイナーという出自

どうすれば大衆の心をつかめるのか? そのセンスを日夜磨いているのが広告会社で活躍する人々だ。柳原が広告出身であったことは周知の事実だから、広告出身のデザイナーであったことは、柳原の個性を考える上で大きい要素なのかもしれない。


なんだか当たり前のことを、くどくどと書き過ぎたかもしれないし、異論反論で炎上するかもしれない。今回は個人的な思いを書き過ぎた。反省はしないが。(以下、次号)

柳原良平(やなぎはら・りょうへい)

1931年、東京生まれ。1954年、寿屋(現・サントリーホールディングス)に入社。話題を呼ぶ広告を次々に制作し電通賞や毎日産業デザイン賞など多くの賞を受賞して退職・独立。船と港をこよなく愛し、横浜に移住。画家以外に、ぐらふぃくデザイナー、装丁家、絵本作家、アニメーター、文筆家など多彩な顔を持つ。2015年8月17日、84歳で逝去。

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。

ご協力いただいた方々

●岡部昌幸(おかべ・まさゆき)  1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。 

柳原良平原画・複製画

柳原良平アクリルフォト

柳原良平主義 ~RyoheIZM~

海洋画家と呼ばれる、船や海、港を専門に描く画家がいる。高橋健一、飯塚羚児、亀山和明や野上隼夫、世界に目を向けるとイヴァン・アイヴァゾフスキーやウィリアム・ターナーなどなど、その数は多い。 柳原良平も当然そのひとりに数えられていると思ったのだが、彼のことを純粋な海洋画家と呼ぶ記述には出会ったことがない(他の海洋画家との比較はあったが)。
アーティストはみな、作品のオリジナリティにこだわる。だから、自分の作品のどこかの段階で、他人の手が入ることを嫌うタイプも少なくない。妥協を許さないアーティストの姿勢や、納得がいくまで何度もやり直したりする話に、感動を覚えることも多々ある。
破天荒な人生を送り、作品以上に人生(生き様)が面白がられる、そんなアーティストはたくさんいるが、柳原良平はその対極に位置するアーティストのように見える。
前回は柳原良平の人間性について書いたが、今回も他のエピソードを紹介しつつ、人物としての柳原に焦点を当てる。会社に甘えない 柳原が寿屋の正社員を辞め嘱託になったのは、漫画や装丁など他社の仕事をし始めたことがきっかけだったと前回書いた。周囲に気を使ったわけだが、まだ20代の身(28歳)で思い切った決断だ。
人間の品格やスタイルについて論じる書籍がさまざまなところから出ている。一冊も読んだことがないので、もしかしたらその解釈は、世の常識とはズレているかもしれない。しかしそれでも柳原良平は、品格のあるオシャレな大人だと、つくづく思う。今回は芸術家としてではなく、人としての柳原について。
柳原良平は多作だ。そして彼が絵を描く姿を見た人はみな、描く速さに驚く。速いから多くの作品を生み出せるのだ。今回は、柳原の描くスピードについて書く。 無言で描きまくる 柳原は現場主義。船でも景色でも、まずは現物をしっかり観察する。たとえば横浜港に豪華客船が入港すると、柳原はわざわざ小舟をチャーターし、さまざまな角度からその客船を眺めつつ、写真を撮り、そして筆を走らせる。そのフィールドワークにはカメラも必需品だった。
柳原良平は、アニメーションについても先進的な役割を果たしている。そこに登場するキャラクターとして生まれたのが1958年に登場したアンクルトリスだったということも、コラム(第2回)に書いた。今回は、アニメーション作家としての柳原にも触れておこう。 柳原は、1957年に日本公開された映画『八十日間世界一周』を観て、革命的デザイナーと称されたソール・バスが手がけたオープニング・シークエンスを発見し、衝撃を受ける。
リトグラフにおいては作家と刷り師との信頼関係が、作品の出来・不出来に大きく影響するという話を以前に書いた。工房のある広島県沼隈郡を訪れ、版に絵を描いて打ち合わせを済ませた柳原は、あとの工程を刷り師である佐道二郎氏に任せて横浜の自宅に戻る。
柳原良平による作品の、最も顕著な特徴はデフォルメだ。デフォルメについては以前、縦横や遠近の”圧縮”が技法として使われていることや、20世紀に活躍した欧米のデザイナーの影響などについて書いた。 しかしそれだけでは、どうにも物足りない。そこで柳原のたどった道をもう一度だけ振り返ってみる。
2023年の上半期に放送されたNHKの連続テレビ小説『らんまん』では、主人公の槙野万太郎(神木隆之介)が石版印刷の技術を駆使して植物図鑑を完成させた。この石版印刷は通称リトグラフと呼ばれ、微細な描写を再現できる画期的な印刷技術として、日本では明治以降にまたたく間に
柳原良平の多能ぶりについては過去にも述べたが、今回はその多能ついて、もう少し詳しく触れておきたい。 画家でもありデザイナーでもあったことは書いたが、たとえば画家としても柳原は、驚くほどさまざまな手法を駆使した作品を残している。それは
たとえばフィンランドの老舗ブランド、マリメッコの定番テキスタイルは、誰が見てもすぐにマリメッコとわかる。それはもちろんポピーの花をモチーフにした、例のウニッコ(Unikko)と呼ばれるデザイン・パターンのせいでもあるが、目が覚めるような鮮やかな色彩感覚にも原因があるのではないかと思う。
柳原良平の絵に現れる個性の背景には、デザイナーとして培ったデザイン感覚があると前回のコラムで書いた。だがアート界では、画家とデザイナーとの間には大きな隔たりがあったらしい。 たとえば前回登場した、フランスの革命的デザイナーとして著名なカッサンドルの場合、デザインの仕事は、絵画で身を立てるまでの生活の手段としか考えていなかったらしい。帝京大学名誉教授・岡部氏が
柳原良平の絵は、当たり前だが他とは異なったオリジナリティがある。どこが違うかはこれまでにも何度か書いてきたが、なぜ違うか、その理由についても知りたかった。 まず思い当たるのは、柳原は画家であるだけでなく、イラストレーターであり、漫画家であり、またデザイナー、装丁家でもあったこと。 元・横浜みなと博物館館長の志澤氏によれば、
『帆走客船』とだけ題された、ペンによって描かれた原画を見た。モノクロでシンプルな線画だが、マストや飛び出した船首、帆はもちろん、帆綱(ほづな)をはじめとする多くのロープに至るまで、きっちり描き込まれている。このあたりの細かさは、
先日また柳原作品の、原画を観る機会に恵まれた。『ナポリ港の「ミケランジェロ号」』と、珍しくタイトルが絵の中に書いてある、切り絵による作品だ。 晴れわたったナポリの空の下、穏やかな港内に浮かぶ名船ミケランジェロ号の姿がなんとも優雅で、ゆったりした時間の流れが感じられ、
柳原良平の描く船は、堂々たる威風を感じさせるというより、親しみやすく可愛らしいものが多い。この親しみやすさはどこから来るのか? またその親しみやすさを、どうやって表現していたのか? 元・横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、それをひと言で表現してくれた。 「変形されてますよね? つまり圧縮です」
柳原良平の「船キチ」が、いつどのように育まれたのか知りたかった。ただ彼の少年時代を知っている人は、今となっては見つからなかった。その代わり『柳原良平のわが人生』の記述から、ヒントとなった箇所を紹介する。 戦後(1945年)占領軍の統制下にあった日本は、船舶を建造することができなかったが、1946年には小型船舶の建造許可が降りた。そして翌1947年、関西在住の中学生、柳原良平(15歳)は、
柳原良平は横浜を愛した。山手の丘の中腹に住み書斎兼作業部屋から港を見ながら多くの作品を生み出した(数年後、他の建築物のせいで港は見えなくなってしまったが)。そんな彼の作品が大好きな、横浜に社屋を構える会社の代表がいた。彼は、既存の自社商品をもう一段階盛り上げる起爆剤は、柳原良平が描く絵のパワーだとひらめいた。
さて、ついに船の話だ。どこから書こうか迷うほど柳原の船愛っぷり(=知識)はどこまでも広く深い。それは『船旅絵日記』(徳間文庫)などを一読すれば、その濃度に誰もが思い知る。 排水量(総トン数)や速度、乗客数、船籍、建造会社、オーナー会社(の遷移も)などのスペックはもちろん、各キャビンの位置がわかる図に加えて一等から三等までの船室料金に至るまで詳細に記述されている。もちろん調べたりメモしたりすればわかることだという意見もあろう。だが当時は、気楽に検索して調べることなど不可能な時代。調査方法も問い合わせ先も、自力で見つけ出すしかない。
線画は、柳原良平の作品における原点だ。彼にとってスケッチは日常であり、スケッチは線画から始まる。そして彼は、線画による味わい深い作品を数多く残している。 『三人のおまわりさん』(学研)の絵は、そんな挿絵を見ることのできる作品のひとつ。主人公である三人のおまわりさんは、三人とも例によって2頭身半で、ヒゲの向き以外はほぼ同じ顔なのだが、
前回は、1958年に誕生以来、半世紀を軽く超えて今なお大活躍する不滅のキャラクター「アンクルトリス」が誕生するまでについて書いた。こんな長く活躍するとは柳原良平ご本人さえ想像していなかったのでは? これは作品の内に、作者本人すら意識しない普遍性が備わっていたことの証と言える。つまり柳原良平の作品には「魅力という名の普遍性」が備わっている。
道は、自分で切り開く 船や港は、柳原良平が一生を通じて向き合ってきたテーマであり、その絵を前にすると誰もが、オリジナリティあふれる、柳原ならではの作風に魅了される。その魅力については今後、手を替え品を替え何度も書くことになろうが、その前にあえて、彼の作品のもうひとつの特徴である、人物画の面白さにスポットを当てておきたい。
柳原良平による船の絵。それはときに埠頭に停泊して浮かぶ豪華客船であったり、ときにクレーンで荷役作業中の力強いコンテナ船であったりする。作品によっては客船の甲板から手を振る旅客や、貨物船のブリッジで針路を見つめる船長が描かれていたり。 船自体の絵は写実的な絵とはかけ離れた作風にもかかわらず、